しこをふむ日々
目の前にあることをこつこつと続けることを
「しこを踏むように。」という言葉で表現されたお客様がおられた。
私たちのお店は小さくて、夫婦2人で本当に良いと思うことを
ただただ誠意を持って続けることを大切にしていて
世の中が不安定な今、そのことの強さをひしひしと感じている。
まずは家族が美味しいと言ってくれるものを作って
家族が楽しいと思えるくらしを営んで
そこからお客様に丁寧に伝えて
お客様からまた大切なことを受け取って。
時に大きく何かを動かすことに繋がらないもどかしさが
おしよせることがあっても
深呼吸するようにまたもとの姿勢に戻って
それはやはり「しこを踏む」ように
ただただくりかえし続けていく。
こめじるしに通ってくださる方のことを思って
今日も粛々と、美味しいコーヒーと美味しい焼き菓子のことを考えて。
冬と落書き
この冬は雪がないので「こわいような気がするね。」なんて
お決まりの話をお客さまとしたりして
本当なら白い帽子をかぶっているはずの山々も
遠くの方まで頂上の様子を見ることができるほど。
「こんな年は山に水がなくてこまるだろう。」
「きっと楽なかわりに何かが起こるよ。」
何だか疑心暗鬼な心持ちが人の中に蔓延しているようで
森にある狂い咲きの椿を眺めてはどきどきしたまま
家に帰ると子供たちが帰ってきて
1歳の次女を抱っこすると
手のひらいっぱいに色とりどりの油性ペン。服の袖までも。
「もーちゃんが油性ペンのフタあけたけー。ごめん。」と長女。
次女はにこにこ満面の笑顔。
そんなささいなこと。でも、何だか心が晴れた心地がした。
カマキリとお墓
閉店後、いそいそと家に帰る支度をしていると
駐車場で生き絶えてしまったカマキリがいるのを見つけて
「おかはを(お墓を)作らんといけん。おかはを。」と3歳の長女。
木の枝を2本拾ってきて、箸のようにカマキリを挟んで
車が踏みそうにない場所を見つけ穴を掘る。
中にそれを埋めてあげたあとは、お花をつんできて
「1本じゃ寂しいじゃろ。もう1本いる。」とまた探しに行き
つんできたお花を丁寧に埋めた場所に植えた。
その様子を眺めながら、私は先を急ぐことをやめた。
彼女にはその時、お墓を作ることが何よりやらなければいけないことで
私が帰って夕飯を作ることよりも、家事をすることよりも
大切なことのような気がした。
次の日お店に行くと、駐車場の端にお墓のそばに植えられた
昨日のお花たちがそよいでいた。
それを見た時、しばらく見つめていたいような
何ともあたたかな気持ちになった。
ドライブと偶然
次女が産まれ毎日がジェットコースターのように過ぎていく毎日。
それでも私にとってこめじるしという空間は
お菓子づくりで頭をきりかえられたり
お客様とお話させていただいたり
ますます大切な場になっていると感じる。
先日実家に帰省した際のこと、
家でゆっくり過ごしていると長女がどうしても出かけたいと言う。
お昼寝の時間でもあったので眠たさもあるのかなと
車に乗せて少しドライブすることにした。
しばらくするとやはり彼女はうとうとし始め
もうしばらく車を走らせよう、どこに行こうかという話しに。
「昨日、店構えの気になるお店がこのあたりにあった。」と主人。
「そういえば、お店のお客さんで素敵なお店がこのあたりにあると教えてくれた。」と私。
調べてみるとそのお店は同じ店で、そこから数分ほどの距離にあることが分かった。
眠りかけていた長女もお店に着くと目を覚まし
店内の可愛らしいマスキングテープたちに目を輝かせていた。
店主さんとお話させていただくと、ご実家が島根県にあるとのこと。
今度ぜひ寄りますね、と新しいご縁ができた。
子供たちのこと、お店のこと、考え出すときりがない中で
想像の域を超えて何か新しい道がふっと見えることがある。
思えばこめじるしというお店は、そんな偶然に恵まれて存在している気がする。
今目の前にある大切を、大切に。肩の力を抜いて過ごすことも
新たな道しるべになるのではないかと娘に教えられた気がした。
三寒四温
昔の人は自然とよく向き合っていたのだろう。
タイトルのような言葉の感性を持って過ごしていたい。
季節だけではなく、日々向き合ういろいろのことを
すぐに結果を求めるのではなくて
だんだんと、それでもゆっくりと前へ進むのだと
どっしりと構えていられたらいいなと。
今年は積雪がなく暖かい冬となった。
季節の歩幅が乱れてしまっていないかと少し不安になる。
自然が変わらぬ自然であるように願うばかり。
密かな目標
私たちの好きな小さなガソリンスタンドがある。
ご家族なのかどの方も、いつも変わらぬ丁寧な接客。
窓の細かい汚れまできちんと拭いてくれ
挨拶から送り出しまでサービスが徹底している。
そのガソリンスタンドに行くたびに清々しい気持ちになる。
目の前にあることを、毎日変わらず丁寧に。
それはお店でも、日々の暮らしでも、目指したいところ。
今の時代、人と違うことや目立つことは評価されやすいけれど、
淡々と変わらず一つのことを続けることは見えにくい。
けれども私にとっては、後者の方が価値があるように思えてならない。
森と記憶
3歳の娘をおんぶして森を散歩していたら
のどの奥がツンとして涙が出そうになった。
落ち葉の絨毯の下には真緑の雑草たちが顔をのぞかせていて
まだこれからが冬本番というのに
先の春を見据えて力強く生きている。
季節は容赦なくめぐり、人間を待ってはくれない。
背中では寝はじめた娘が暖かく重みを増して
吹く風が一層冷たく感じる。
おんぶして後ろで寝息をたてるこの時もきっと一瞬で
いつかこの森でのことを懐かしく歩く時が来るのだろう。
森の匂いも、風の冷たさも、全てが記憶となり
いつか思いをはせる思い出。
今を大切に。一瞬一瞬大きくなる娘たちをしっかりと見つめたい。