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甘さと辛さ

komejirushi

唐突に5歳の長女が2歳の次女の面倒を

見はじめることがある。

 

「一緒に遊ぼうねー。これやってみてごらん。上手だねー。」

とつきっきりになり何から何まで見てあげようとする。

 

次女は嬉しそうにもあるが

いつもの様子でない姉の様子をいぶかしげに見ている。

そして容赦なく姉の言葉をはねのけてしまうことも多い。

 

「いらない。今それやらない。」

そしてそんな言葉を次女が発したら最後

姉は怒りに満ちた声で妹に言う。

「もう、せっかくやってあげとるのに!もう知らない!はーちゃんだいきらい!」

 

優しさと恨みは表裏一体なのだ。

そんな時私は長女に何と声をかけたら良いかと思う。

 

そしてまだ成長と甘えをいったりきたりしている長女と

遠慮を知らない次女のやりとりを

見ていて微笑ましく思う一方で

はたと、我にかえる。

 

大人にも同じことが言えるのかな。

誰かのために、何かをするということは

それ自体が目的であるよりも

 

自分が好きなことがそこにあって

それを続けることがやがては人のためになっていた。

その方があり方として気持ちが良い気がする。

そんなことを思いながら、思いにふける。

 

小さな子供たちはまだまだ本能そのままを

むき出しにしてぶつかってくる。

そのことが大人にとって考えさせてくれることは

意外とたくさんにあって

 

1歳の時の親は初めてで1度きり。

2歳の時の親も初めてで1度きり。

2人目は1人目と全く違うし

また1歳の時は1からやり直し。

 

ずっと子供たちが大人になるまで

一人一人が一つ一つ歳を重ねるたびに

親は「初めて」を繰り返すのだと思う。

教科書もなければ、決まりきった方程式もない。

 

だから迷うし、おもしろさや感動も大きい。

自分たちのベクトルに合わせるのではなくて

子供たちの言葉や様子が教えてくれることに

目をこらして、耳を澄ましていたいなと思う。

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